布袋山保存会ホームページ

【姥柳町の南蛮寺】

下記画像は【京のキリシタン史跡を巡る】(杉野栄著:嶋崎賢児写真)の本
からお借りしました。祇園祭には、布袋山の本尊である、布袋尊様像をマ



ンション1Fの西側コーナーにてお祀りしています。そのすぐ隣には下記画
像の駒札が建てられています。この地はまた、都の南蛮寺があったとこ

ろなのです。姥柳町に、聖堂が完成した日は、聖母被昇天の記念日の
1576年の8月15日(日本暦7月21日)でした。それを記念して、荘厳なミサ

が聖堂にて捧げられました。その駒札に書かれてある内容は、以下↓

南蛮寺
織田信長の時代に、ヤソ会によって建てられた南蛮寺は、この北側、
姥柳町の地にあったと推定される。戦国末期、京都でのキリスト教

布教は、永禄2年(1559)から本格化し、永禄4年にこの付近に礼
拝堂が設けられた。数々の迫害にあいながら、ヤソ会宣教師は不況

に努力、織田信長の保護もあって信者は拡大した。天正4年(1576)、
古くなった礼拝堂を再建することにし、数百人の信者の協力と所司代

村井貞勝の援助で完成、7月16日献堂式のミサが行われた。これが
南蛮寺で、信者の間では珊太満利亜(さんたまりあ)上人の寺とも呼

ばれ、京都におけるキリスト教と南蛮文化の中心となった。しかし、天
正15年(1587)6月、九州征伐を終えた豊臣秀吉は宣教師追放令を

発し、キリスト教弾圧に転じた。南蛮寺もその時に破壊され、ついにこ
の地には復興されなかった。
                                    京都市


2011年10月23日、時代祭に初めて南蛮人が行列に参加しました。
時代祭を運営する平安講社は事前の10月12日、今年新調した装束

の一部を平安神宮で披露した中に加えて、南蛮人の新しい衣装もお
披露目されました。こちらは室町時代の町衆が着飾る風流(ふりゅう)

踊りの列に、南蛮人の仮装が加わることなったのでした。1563年(永
禄6年)宣教師ルイス・フロイスが都に辿りついた時の服装は僧侶の姿

で、素足に草履履きだったそうです。この時代祭の仮装は京都新聞の
記事に依りますと、『黒色のビロード地に金糸の刺しゅうをあしらい、

赤色の脚半で足元を彩った。江戸初期の祭礼図に描かれた南蛮人の
仮装で踊る町衆の姿を参考にした。』と書かれてありました。下記の画像

は【嶋崎 賢児】さんからの提供による写真からスキャンにてディジタル
画像にしました。(クリックで大きな画像を見れます。)


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